子供の将来。


長女と車に乗っているとき。

何の話からかは忘れたが、将来の話となった。

大学をどこに行くかで、全然将来が変わってくると言う話。

「私、家の近くに住むんかな?」

と実家近くに将来住むことになるのだろうか、と言うことを私に聞いてきた。

私は

「さぁ、大学によっても進路が変わるやろし・・どうやろうなぁ。」

と言いながらも、自分が母とした会話を思い出していた。

母はまだ若かった私によく言っていた。

「住むんやったら、家の近くにしてな。遠くはアカンで、近くに住んで。」

別に結婚が決まったとか、そんな話が出ていたわけでもない頃から、そう言っていた。

逆に結婚が決まったときなどは、私に何も言わなかった。

遠くはダメだとか。

おそらく夫に気を遣っていたのだ。

でも私の中で、母のその言葉が刷り込まれていたものだから、遠くに行ってみたい気もしたが結局はそう遠くもない実家近くに住むこととなった。

もし母からその言葉を聞いていなかったとしたら、全然違うところに住んでいたかもしれない。

結局実家近くに住んでいる私は、今でも母に守られている。

何かと未だに助けてもらっている。

両親とも高齢となり、もうこちらが助ける側になっているというのにだ。

母は常に子が心配で、いつまでも子を守り続けている。

近くに住んで・・というのも恐らく私のためを思っての言葉。

そんな私が長女に何を言ってやれるのだろう。

本心では近くに住んでもらった方が嬉しい。遠くだと心配だし、すぐに駆け付けることも出来ない。

しかし私は長女に言った。

「近くでもええし、遠くでもええし、アンタの好きなとこ行ったらええやん。外国でもええでー。」

何故そう言ったのか明確には答えることが出来ない。

言葉で長女を縛りたくないというのもあるのかもしれない。

私が母に言われた「近くに住んでほしい。」と言う言葉。ずっと心底にはあった。

今、助かっているのは分かる。

だけど自分の中で少し、やっぱり遠くにも住んでみたいと言う気持ちがあったのだろう。自由に自分で好きな住処を見つける。

でも、それが”ここに住みたい!”と言うものではなかった。別に実家近くでもいいし、遠くでもいい。

だったら母が言っている実家近くにしよう。

そう思った。

やはり母のことも心配だ。

その言葉がなければ、また違った人生を歩んでいたかもしれない。

言葉の影響力は大きい。

住むところが違えば、子供たちの学校も変わるし、私のパート先だって変わる。地域の人たちも土地土地で違うだろう。

長女に何気にそんな話を振られて、将来について考えた。

子供は3人いるが、果たして実家近くに住む子は何人いるだろう。

もしかしたら3人ともかもしれないし、3人とも遠くかもしれない。


そう考えると、こうやって子供たちを暮らせている今を大事にしなければと思う。


ある日、小腹が空いたと言った長男に作ったオムライス。これを見た長男の反応を楽しむ母。
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