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家事に虚しさを感じる。


日曜日も土曜日同様、家事に追われる一日となった。

自分の娯楽と言えば、図書館で借りてきた好きな作家の本を読むくらい。

いつから、こんなになったのだろう。

何かしら、家の事をしなければいけなかったり、子供の事に追われていたりする。

家族のことが出来て、毎日幸せ とは思わない。

なんだか自分の時間が無駄に過ぎていってしまっているようにさえ、この頃は感じる。

原因などは、分かり切っている。

夫だ。

夫の無関心が私をそうさせる。

せめて一日終わって、今日はどうだったとか、大変だったね、とかねぎらいの言葉や態度を示してくれたらどれだけ嬉しいだろうか。

別に夫でなくても、ギュってして

「今日も一日頑張ったね。」

と言ってくれる男がいたらどれだけ幸せだろうと思う。

子供では満たされない何かに私は飢えている。

いっそ、抱き人形でもあればいいのにとさえ思う。

それほど私の心は渇いている。

慢性的なのだ。

夫の無関心は、年を追うごとにひどくなっているように感じる。それと同時に私の虚無感も増していく。

そんなことを言うと、シングルの人はどうなるのかと言う話になる。

そう、いっそ夫がいなければいいのではないかとさえ思う。

そこに、夫はいるのに夫ではない。期待してしまう自分。期待に全く応えない夫。

いるのに、いない夫。

夫婦であって、ただの同居人。

秋が近づくにつれて、私の感情は更にさみしさを増していく。

夫は私が面倒だと思っている。

それを感じてしまう自分が悲しい。

面倒な嫁が、また面倒くさくふてくされている。

だから、メシでも作ってやるか。自分の食べたい肉を使って料理をしよう。

そうじゃない。そうじゃないんだよ。

夫は分からない。

時々夕食を作り、自己満足に浸る夫。

私は「ありがとう。」と夫に言う。

なんなんだろう、この満たされない気持ち。

私は時々想像する。

家事を終え、疲れてソファに横になっている私に男が話しかける。

目線を私の位置まで合わせ、座り込んで男は言う。

「大丈夫?」

わたしは、男を見る。

「ごはん、食べに行こっか?おいしいとこ調べたから。」


そんな人が欲しい。

独身の時の妄想とそう変わらない。

40過ぎのオバハンになったって、私は女だ。

やさしく声をかけてくれる男が欲しい。

私は、妄想の中で癒される。

そんなことが最近多い。

そして、そんなときに限って夫の

「ブーーーッ!!!」

と鼻をかむ音や、

「ブッシュン!!」

としぶきを辺りにまき散らした音をたてるクシャミで現実に戻される。

妄想くらい自由にさせてほしい。

そして現実に涙する。

今の沈み具合ってのを調べることができるなら、私は相当鬱に近い気持ちを差すのだろう。

それとも、鬱とは違う何かなのだろうか。

そんなことを考えながら、やりきれない気持ちでまた私は読書に戻る。

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